【当時の奴隷の生活・待遇】古代ローマの奴隷は現代のサラリーマンより良い生活であった可能性あり

「奴隷」と聞くと酷い待遇で人権も全くなかったというイメージがありますが、古代ローマ帝国時代の奴隷はひょっとすると現代のサラリーマンより良い生活であったかもしれません。

古代ローマの時代の身分階級制度は
「皇帝、元老院議員、貴族、騎士、ローマ市民(平民、本記事では市民と略します)、同盟市民、属州の人々、解放奴隷、奴隷」
の順番で成り立っていました。
ただし古代ローマ市民というのは今の平民とは異なり、社長や事業者という位置付けです。
ローマ市民は奴隷を持ち、様々な仕事を与えました。
古代ローマ帝国は初期から最後まで奴隷制が国を支えていたそうです。

奴隷はどこから来るのか?というと古代ローマ帝国は戦争をして領土を拡大していたので、そこで負けた人々が捕虜となり奴隷となるか、借金を返済できなかった市民も奴隷となりました。
さらにローマでは少子化が問題となっており、ローマ市民は表向き子供を作らなかったのですが、実際には当時避妊法があったわけではないので人生を楽しみたい市民は子供を捨てていました。
その捨てられた子供を広い育てて売る業者が存在していて、奴隷の重要な供給源となっていました。
当時市民は食事を食べて満腹になったあと吐いてまた食べるということをしていましたが、性についても楽しんでおり、色々な人と性行為を行っていました。
当然誰が誰の子かわからない場合もあり、自分の子供を産んだ人がその子を捨てて、業者から買った人が自分の子供であったということも有り得たわけです。

コロシアム(コロッセオ)で闘う剣奴も奴隷の一種
観衆が親指を下にしているととどめを刺せ、上に上げていると助けろという意味で最終判断は主催者が行った
kendo2
出典 – ja.wikipedia.org

ローマ市民の話に戻るとローマ市民は基本的に労働をしないか、しても午前中で終わらせてテルマエまたはバルネアと呼ばれる現代の浴場とジムと娯楽施設が合わさったような施設で一日の大半を過ごしていました。
市民は奴隷を持っていたと書きましたが、ローマではより多くのものを養った方が権威があるという文化があったため有力な市民になればなるほど多くの奴隷を従えており、テルマエや家についた時に右足と左足それぞれの靴を脱がせるのが仕事の奴隷もいたそうです。

古代ローマのテルマエを題材とした漫画、映画「テルマエ・ロマエ」

古代ローマ時代の奴隷は様々な仕事を持っている奴隷がおり、医療や教育も奴隷の仕事でした。

古代ローマ帝国の都市ポンペイの壁画から見つかった「傷の手当てを受けるアエネイス」
外科医が傷の治療をしているところ。
このような医師も奴隷であることが多かった
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出典 – f.hatena.ne.jp

基本的に古代ローマでは労働に対する報酬として金銭を要求する職業を良くないものと見る風潮があり、例え高い報酬を受け取る職業であっても報酬を受ける職業は奴隷が行うことが多かったそうです。
古代ローマの奴隷=現代のサラリーマン、労働者と言っても過言ではなかったのです。
医師や教員、家庭教師も奴隷が行っており、そのような高度な技能を持った奴隷は比較的高い報酬を得ており、高い値段が付きました。
このような奴隷はお酒を飲むこともテルマエに入ることもできました。
当時のテルマエは権力者が市民からの支持を得るために作ったものが多く、入場料も現在の日本円で10円~100円程度で使用できたそうです。
権力者の中にはテルマエを貸し切ってその日は入場無料にしたりする人もいました。
古代ローマでは投票で重要な役職につくかどうかも決まったため市民からの支持を得ることが重要だったのです。
コロシアムの試合も有力者が資金を出し主催することが多かったそうです。
また、当時飲み物も様々な種類がありワインも店で40円~80円で飲むことができました。
比較的酷い待遇の奴隷でもワインの搾りかすから作られる「ロラ」というワインが与えられました。

ローマにあるコロシアム
当時から水を張って海上戦を再現したり、舞台装置もあった
剣闘士対猛獣という試合もあったそうです
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出典 – ja.wikipedia.org

当時の待遇の良い奴隷が現代の市民と違う部分は参政権がないことと、人権(当時はない概念)がないということくらいだったと言います。
しかし高度な技能を持った奴隷や、主人に気に入られた奴隷は人権的にも良い待遇であったため、現代の市民と違うのは参政権がないということくらいだったと考えられます。
家庭教師を行う奴隷は市民の子供を叱ったり体罰を与えることもありましたし、古代ローマは共和制を重視し人々を幸せにすればする程権威が得られたため、自分が死んだ後奴隷を解放し解放奴隷とする主人もいました。
解放奴隷の子供はローマ市民となりましたし、奴隷が金銭でローマ市民になることができ、身分については比較的自由がありました。
高い報酬を得て、労働時間もそれ程長くなく労働強度も低く、娯楽を楽しむことができるならばひょっとすると現代のサラリーマンや労働者より良い待遇であった奴隷もたくさんいたかもしれません。

奴隷の中には様々な職業の奴隷がおり、肉体労働や過酷な職業につく奴隷もいました。
これらの奴隷は現代の人々がイメージする酷い待遇の奴隷であったと言えそうです。
特に酷い待遇の奴隷はガレー船(風の弱い地中海付近で発達した手漕ぎの船)の漕ぎ手を担う奴隷で、鎖に繋がれていたため船が沈没すると必ず溺死しますし、体力消耗も激しかったため平均すると3ヶ月程度で死亡してしまったそうです。
ガレー船で働く奴隷になるような人は借金が返済できなくなった債務奴隷が多かったそうです。

ガレー船
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出典 – ja.wikipedia.org

その他に最も過酷な待遇の奴隷は鉱山で働く奴隷や、コロシアム(闘技場)で戦いをする奴隷「剣奴(けんど)」であったそうです。

剣奴、剣闘士(グラディエイター)
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出典 – ja.wikipedia.org

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