アメリカ海軍の新型ミサイル駆逐艦「USSズムウォルト(Zumwalt、DDG-100)」の洋上テスト動画

アメリカ海軍が2016年に就役させる予定の新型ミサイル駆逐艦「USSズムウォルト(Zumwalt、DDG-100)」の洋上テストの様子が映像で公開されています。
以下がその映像です。

このズムウォルト級ミサイル駆逐艦は高度なステルス性能など先進的な設計がされています。
特徴的なフォルムはステルス性を発揮するためと思われます。

強力な対地射撃能力も備えています。

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美しいフォルム、当時斬新な発想で生まれた秘密兵器「震電」配備されていればB-29を落とせたかもしれない

第二次世界大戦中や前後には様々な兵器が開発されましたが、大戦末期に大日本帝国海軍が試作したエンテ型局地戦闘機「震電(しんでん)」は特に構造が独特で美しいフォルムとなっています。

震電の特徴はまずそのフォルムです。
従来の航空機と全く異なりプロペラが後部に配置されており前部はすっきりしています。
機首部分には小さい翼が配置されており、前部に尾翼があります。
最大速度400ノット(およそ時速740キロ)以上を目標として開発されました。
機体略号は「J7W1」で乗員は1名、エンジンはハ-43-42、正規の装備をした時の重量4950kg、高度8700メートルで最高速度時速750キロ、巡航速度は時速425キロ、航続距離は1000~2000キロを要求性能として計画されました。

独特のフォルムを持つ震電
画像は外観のみ修復した試作1号機
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出典 – ja.wikipedia.org

1942年から43年頃に旧海軍の航空技術廠飛行機部の鶴野正敬大尉は従来型戦闘機の限界性能を大幅に上回る革新的な戦闘機の開発を構想し、前翼型戦闘機の研究を行っていました。
1943年に軍令部参謀となった源田実中佐は当時主力だった零戦はアメリカから研究されていると考え、零戦とは全く異なる画期的戦闘機を探していたが、なかなか見つからなかった。
しかし、上記鶴野正敬大尉が同じ考えを持っていたこともあり、震電の開発がスタートしました。

従来の戦闘機では武装、エンジン、プロペラが機体前部に集中しているため、操縦席から後ろの部分が無駄なスペースとなっていました。
前翼型戦闘機は武装を前方に配置し、エンジンとプロペラを後方に配置することができるため無駄が少なく、同じ重量の武装ならば機体を小型にすることができるため空気抵抗も減り従来の戦闘機よりも高速となるというのが基本理論でした。

震電スケールモデル
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出典 – ja.wikipedia.org

海外でも前翼型戦闘機の研究は行われていましたが、実運用に至ったものはありませんでした。
1943年8月に風洞実験が行われ、1944年1月末には実験用の小型滑空機を使用しての滑空試験に成功し1944年2月に試作機の開発を決定しました。
設計と製造は他の航空機会社に比べて手が空いていた九州飛行機となり鶴野正敬大尉が九州飛行機に出向しました。
要求性能が400ノット(時速約740キロ)以上の高速戦闘機ということで、高速一撃離脱戦法をとれるものとなりました。

1944年5月にB-29の迎撃を最大の目的として十八試局地戦闘機「震電」の試作が正式に発令されました。
B-29は高度1万メートルを巡航速度時速350キロ、最大速度時速576キロで航行できたため、空気の薄い高高度での高速飛行ができない日本の従来戦闘機では迎撃が難しかったのです。
震電の高速を活かしB-29の前方に入り、高度12000メートルから下を飛ぶB-29に向けて降下し30mm機銃4門を斉射し下方に離脱、再び前方に展開し再度攻撃を行うという戦法が計画されていました。

旧海軍は1944年4月から製図に入り、同年末には機体を完成させよという要求をしており、これに応えるため九州飛行機では近隣と奄美大島、熊本、種子島などからも多くの女学生、徴用工を動員しました。
最盛期には5万人を超える人が震電開発に従事し、量産体制に入れば月300機の生産を可能とする目処が立っていました。
1944年11月には通常1年半かかる製図作業を半年で終わらせ、およそ6000枚の図面を書き上げました。
ヘンシェル社のドイツ人技師フランツポール氏の所見により大量生産を考慮に入れた改良図面の作成を開始しました。
1945年3月に大刀洗飛行場が爆撃されたため、筑紫野市原田に九州飛行機は工場の疎開を決定し、夜間に牛車にて部品の運搬を行いました。

1945年6月についに1号機が完成し現在の福岡空港である蓆田飛行場に運び7月に鶴野正敬大尉自ら滑走試験を行いました。
その際機首を上げ過ぎたために後部プロペラが地面に接触してしまい先端が曲がるという問題が発生。
そのためその後プロペラを2号機用のものと交換し、プロペラが地面と接触しないように、側翼の下に車輪が取り付けられました。
量産機は主脚の設置位置を後ろにずらして垂直尾翼の下には車輪をつけないという計画となりました。

震電のテスト飛行映像

1945年8月3日という終戦間際に試験飛行を行い成功し、6日と8日も試験飛行を行っていた時にエンジンが故障し三菱重工に連絡している中終戦を迎えました。

震電には当初6枚のプロペラが採用されましたが、可変ピッチ機構が複雑なので、量産型はブレード1枚の面積を増加させた4枚のプロペラを取り付ける予定だったそうです。
また、後部にプロペラが存在するため、パイロットが緊急脱出する時に後部のプロペラに巻き込まれる可能性があります。
そこで試作2号機からはハブの中に火薬でプロペラを外す装置を取り付ける予定だったそうです。
試験飛行ではエンジン全開でなく、脚を出したままの状態で最大速度時速293.5キロを記録しました。
飛行時にプロペラのカウンタートルクにより機体が右に傾くという不具合が発生しました。機首が下がり気味になる、油温が上昇するなどの不具合も発生したそうです。
この右に傾くという不具合の修正が最初の調整の目標とされました。

その他の問題点として

・後部にプロペラがあることにより装備しなければならないもの(薬莢が後部プロペラに当たらないように薬莢を機内に収納する箱、長い脚、脱出用プロペラ飛散装置など)などにより単発単座戦闘機としては重くなり、速度や高高度飛行性能などが計画通りになったのか。

・脚が長いため弱く離着陸の速度も高速で、車輪がはねた泥や小石が後部のプロペラに当たるため野戦飛行場には不向きで、整備された長い滑走路を持つ飛行場が必要であった。

・試験飛行では油温が上昇していたため風を胴体横から取り入れ冷却する方式で、実運用に耐えられる冷却が可能であったのかどうか。

・搭載しているハ43エンジンに信頼性に疑問が残る。

という問題がありました。

これらの問題を解決するにはもう少し長い開発期間が必要となったでしょう。
しかし問題が解決すればB-29を迎撃できるレシプロ戦闘機として歴史に名を残していたかもしれません。
また、後部に出力機があるということでジェットエンジンとの相性は良かったと思われ、ジェットエンジン化の構想もありました。
ジェットエンジンとなれば脚も短くでき、脱出時用のプロペラ飛散装置や薬莢を入れる箱も必要なくなり軽くなり、泥や石跳ねも問題がなくなるため、相当な性能が発揮できた可能性があります。

終戦時に設計図や資料、組み立て途中の2号機から十数号機までの部品が旧海軍の命令で焼却処分されましたが、1号機のみは蓆田飛行場の格納庫に保管され、アメリカの命令により破損した風防などが復元され飛行命令も出たが、飛行は実現できませんでした。
この1号機は1945年10月に船便でアメリカに運ばれ、2015年現在もワシントンD.C.にある国立航空宇宙博物館の復元施設で分解状態のまま保管されています。
残っていた資料も英語に翻訳されアメリカ軍に引き渡されました。

震電は未完で終わったこともあり、様々な小説、漫画、アニメ、ゲームに登場しています。
小説・漫画・アニメの「紺碧の艦隊」、「旭日の艦隊」では震電がモデルの「蒼莱」、「蒼莱改」として、小説「バトル・オブ・ジャパン」、ゲーム「艦隊これくしょん -艦これ-」に「震電改」として登場し、上記以外他多数の作品に登場しています。

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戦艦「大和」と「武蔵」の秘密は現代の空母型護衛艦「いずも」にも繋がるものだった!いずもについて中国の反応は?

護衛艦「いずも」が2015年3月25日に就役し、2番艦も8月末には名前が命名され進水予定です。
いずもはヘリコプターが最大14機搭載可能で9機同時に運用が可能です。
大きな飛行甲板のようなものがあり、一説には甲板の先に離陸用のスキージャンプ台のような勾配をつけたりする改造を施せば戦闘機「F-35B」のような戦闘機を搭載し運用可能とも噂されています。
このヘリ搭載機能と戦闘機が搭載できるのではないかという噂から「空母」型護衛艦とも言われるいずもですが、実際は大きな船体に大量の物資を搭載し中枢艦として運用することを目的としています。

護衛艦いずも
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出典 – pds.exblog.jp

海上自衛隊の護衛艦が数か月遠い外洋で活動する場合、武器弾薬に加え隊員用の物資を必要としますし、病院としての機能等も必要となります。
今までのいずも程の大きさがない護衛艦は日本の近くで活動するように設計されているので外洋活動に適した物資を搭載するほどの船体の大きさがありませんでした。
この欠点を無くしたのが「いずも」型護衛艦なのです。

垂直着艦中のF-35B
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出典 – ja.wikipedia.org

いずも型護衛艦は輸送艦、揚陸艦、災害救助艦としての機能も備えており、ヘリの大量搭載機能を活かして他の艦の予備機を搭載したり、整備することが可能です。
遠い外洋でヘリが故障しても修理して復帰させることも可能になるのです。
トラックや燃料も大量に搭載することができ補給艦としての機能も高いものとなっています。
いずもは武器となるものは装備しておらず、戦闘、防空は他の艦に任せる仕様となっています。
まさに中枢艦と言えるような護衛艦なのです。

そして「いずも」型の2番艦が進水されますが何故同型艦が2つほぼ同時に進水されるかというと、1隻だけだと整備に入ると同型艦が運用できなくなってしまうからです。
整備はどんな艦艇でも必要となるので2隻なければ必ず空白期間ができてしまうのです。
これは第二次世界大戦前の戦艦「大和」と「武蔵」も同じで武蔵は「大和」型戦艦となっています。

航行中の大和
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出典 – ja.wikipedia.org

当時は「信濃」も同型艦として建造されましたが戦局の変化に伴い戦艦から航空母艦に設計が変更されました。
2隻以上の同型艦運用は旧海軍からの伝統で現代の海自にも受け継がれています。

いずも型護衛艦の2番艦が進水されることについて中国のネット上では
「第二次大戦の時のようだな。改造すれば空母にできる」
「日本の製造能力は本当に凄い。1年間に空母級の艦艇を2隻も進水させるなんて!」
「これは中国人に見せつけているのか?」
「中国が空母を作るペースはなんでこんなに遅いの?」
「中国は国防を強化しないと!」
などの反応が見られています。

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